AFCoL会報 第一号

アジア農民共に生きる会会報

~有機農業によってアジアの農民の自立に協力しよう~

No.1(創刊号)

いそがずにやっていきましょう

矢澤 佐太郎

昨今、ある国会議員の横暴さから端を発してODAやNGOのことがよく新聞紙上をにぎわしています。ODAとは政府開発援助で開発途上国の経済開発や福 祉の向上に寄与することを主たる目的とし、政府ないし政府の実施機関によって供与されるものであり、NGOの方は非政府機関であるが開発援助に関っている 多くの組織は前者と同じことを目的としています。したがって、ODA支援とNGO支援はそれぞれ特徴があり、車の両輪のように互いに補完関係にあり、行き 先は①人口の激増に伴う失業および不完全雇用、②都市化と生活環境の悪化、③食料不足等に対してお手伝いをし、世界の「もつもの」と「もたざるもの」の格 差をへらし、不平等を除くことにあるといえましょう。

このたび「アジア農民共に生きる会」というNGO組織が設立されました。1976年から有機農業を始めた帰農志塾の実践力と農業後継者育成の実績をふま え て、スマトラ島にある小さな農業トレーニングセンターの経済的自立を促し、そのセンターによる周辺農家への営農支援と安全な食料の供給と農家の自立をお手 伝いしようとするものです。

この組織では資材や資金そして人材の派遣といったODA支援でする協力とは一味ちがって、ODAでは手が届かずNGOでなければできないような大事な仕 事 をしていただきたいと思います。
一味ちがった協力とは“なにもないところだから、なにもないレベルから始めよう”ということです。例えば、畑がわるい、水が不足、車がない、機械がない等 で営農を始めるには条件が悪すぎる時、植付けが始められるように肥料やポンプを供与して営農できるように環境を整えて道筋をつけてあげるのがODAでの支 援の手法です。しかしこの方法ではついてこない零細農家が多くでたというのが過去の教訓です。このような資材や資金をつぎ込み短期的に結果を期待する支援 でなく、なにもない中で一緒に考え、なにもないところでないなりに一歩を踏み出し、その姿勢・プロセスを周囲の零細農民にされけだすのです。こんな協力は 年月がかかります。現地の人々が主人公だし計画的には進みません。このようなお手伝いは長期戦を覚悟しなければなりません。

さて、くどくど書いてきましたがこのような協力を実行できるのは帰農志 塾で培った経験と忍耐力のある戸松氏を中心とした「アジア農民共に生きる会」の面々でしょう。地に足がついた地道な協力がいま歩みだしたわけです。ター ゲットグループと共に急がずに前進することが大事なのでしょう。困難だけど大きな夢をもって進む仲間に乾杯!

トレーニングセンターの行方

戸松 正

昨年10月トレーニングセンター(以下TC)を訪問して3ヶ月が経つ。センターの飼料用のキャッサバは2、5mを越え大きく繁茂している。トウモロコシ は 実をつけ始めた。養魚場にはハスの花が咲いている。子豚が6頭、鶏100羽も導入され、元気に育っている。

コーヒーの価格は10月訪問時の更に2/3に下落し、収入の9割以上をコーヒーに頼っている農民の生活は益々苦しくなってきている。生産性が低く単価の 安 いローカル種の放棄畑も目立ち、農民は新品種に救いの道を求めようとしている。しかし新品種の価格も低下し、コーヒーからは抜本的な解決方法は見出せない ような気がする。
人々は生活レベルを落とし、何とかやりくりしているが、貧しい人は大きな財産である水牛や土地を手放すしか方法は無いのだろうか。新品種はやむをえぬ活路 でしかない。国際価格の下落はいつまで続くのだろうか。

コーヒーと自給用の米、ドリアン、パリラ(マメ科の木の実)しかなく、ドリアン、パリラも一部の農民が栽培しているだけである。村民の米の自給率も 1/3 程度で、主食の米さえも買っている農家が大部分である。如何に単作の農業が弱いかという事を如実に物語っている。それでも米を自給し、ドリアンやパリラを 持っている人のほうが生活に安定感が感じられる。しかしそれもほんの副業でしかなく、以前のコーヒーとは比べようも無い。このような農民にとって農業で暮 らす道はどこにあるのだろうか。都市と遠くはなれ、輸送手段の無い農民にとって、何が豊かな生活を約束してくれるのだろうか。

TCや我々は、いかに農民の生活の安定に、しかも長期的な安定を約束できる農業を探し出さなければならない。以前TCに野菜を買いにきた農民も、コーヒー 価格の下落とともに購入する人もいなくなった。地域全体が農民であるこの地域で、野菜がローカルで売れる可能性も低くなりつつある。野菜の技術者としてき た小嶋君は方向性を見出す事に困難さを感じ、3人のスタッフは不安を感じながらTC運営に努力している。コーヒー以外にどんな道があるのだろうか。野菜の 技術普及は長年を要し、かつ輸送手段を持たぬ農民に普及しうるのだろうか。

あるNGOは、高く買い上げられる明日葉を28haもつくり、高く買うと農民はばくちなどの遊戯費に使ってしまうからなどといい、安く買い上げているよ う だ。この地域でも明日葉は作れる。以前貰った苗の試作の結果は良好である。農民に普及するネックは野菜に比べると1/10以下で済むような気がする。しか しそれらを作り、日本企業に販売し、外国企業を富ます事が本当にいいのだろうか。日本の健康ブームがいつまで続くのだろうか。いくら農民に利益があると いって一時的な投機作物になる可能性の高い明日葉に手を出す事はなかなかできない。有機農業的国際協力、農民の自立を助ける事にはなり得ないような気がする。

自給、循環、多品目、自立、自治を目指す我々の道は遠い。コーヒー以外に米、野菜、豚、鶏、魚、豆などを如何に組み合わせ、農民の暮らしを豊かにする事 が できるか。TCの背負う役割はあまりにも大きく、困難な道である。しかし我々にとって有機農業の王道を行く以外に道は無い。

ウェスリー氏は今年20頭の豚の計画を50頭に増やした。我々も当分の間採算を度外視してでも野菜の計画を進める事にした。まずは技術確立と普及の可能 性 をとことん探る為に。 

また、いつか必ず有機農業の王道はあると信じて。
そんな中でも1~2の農民に新しい動きがみうけられる。鶏舎を建て、鶏を飼い始めようとしている。地道に生きる農民とともにTCを模索しながら、何が大切 かを見極め、TC運営に協力していきたい。

小さな「点」から

小嶋 英嗣

いよいよRDAの農業トレーニングセンター(TC)での現場での活動がスタートしました。舞台は、山の中の小さな「点」。ここで、ウェスリー・リンガ氏 とスリマント・リンガそして私の3人が、3人で住むには大きすぎる小さな家で寝起きを共にしながら、昼間は鍬や斧を手に、夜はランプの小さな明かりの下 TCの将来そして時には自分たちの将来について語り合っています。小さな池を中心にすり鉢状に広がる、まだ看板もない小さな小さな舞台。黙っていれば勢い よく押し寄せる周りの木々、自然に飲み込まれてしまいそうな、そんな錯覚を覚えたりもしますが、この小さな「点」から将来大きな波が広がっていくことを夢 見て3人の毎日が続いています。

現在センターには6等の繁殖のための豚と100羽ほどの鶏が入り、もうすぐ卵が採れだすところです。池の1000匹ほどの鯉となまずも少しずつ大きくな りつつあります。当面は周辺地域を対象としての卵と魚の販売がTCの収入源となる予定です。昨年の4ヶ月間の滞在中に良い結果を得た野菜の栽培は、一から やり直しです。前回は日本とほとんど同じやり方でかなり良く生育してくれましたが、私が不在だった間の雨季の雨はかなり激しいものらしく、開墾してさらけ 出された土壌は、その激しい雨と強い日差しによってかなり痛めつけられてしまったようです。先日、その激しい雨を少し体験することができました。それまで 晴れ上がっていた空が暗くなりだし、ああまた夕立が来るなと思う間に雨は強い風と雹と共に猛烈に降り出し、瞬く間に用水路の水が溢れ池に流れ込み、池の水 があふれ、1時間ほどだったと思いますがその雨量はかなりのものでした。雨季の間はこのような雨が結構あるようです。雨が止んだ後外に出てみると何か景色 が変わっていました。敷地内にある30メートルほどの大木が根元から鶏舎をかすめて倒れ、そこに横たわっていました。今後は、できるだけ土壌を露出させず に強い雨と日差しから守るように敷きわらや敷き草、最小限の耕うん、日陰樹となるような果物との組み合わせなど考えているところです。

毎日の仕事もなかなか思うようにははかどりません。米ぬかなど何かを手に入れたいと思ってもそのために何日もかかってしまいます。ただでさえペースの遅 い自分です。危機感を持って過ごさなければと思います。毎日3人ともやることだけはたくさんあり、でもなかなか目に見えた変化はあまりなく…。夜、マント やウェスリー氏とたまに話します。いつまでこのような状況が続くのだろうか? センターの生産物を満載にして車を出せる日はいつになるのだろう? 農民を 勇気付けることが本当にできるのだろうか? 冗談でウェスリー氏が言います。「できなければ、そのときはそれぞれの場所へ逃げ帰ろう。」でも、夢を持ち、 そのために何かをし続ける限り、そこには前進しかない。少しづつでも前に進もう。そう言いあっています。

TC周辺の人たちの生活は、さらに厳しくなってきています。昨年の滞在中にどんどん値を下げていたコーヒーの価格はさらに下がり続け、ローカル種で1キ ロ30円、新品種で60円ほどと10月のさらに半分にまでなっています。村の人たちは、少しでも高く取引される新品種を導入しようとし、市場で比較的人気 のあるナスに取り組む人、稲刈りの終わった田んぼで鯉の養殖に取り組む人など、皆試行錯誤をしています。TCにも以前はできた野菜を買いに来る人もしばし ばでしたが、今は野菜を買う替わりにTCで少し余裕のある種を欲しいといって来る人が多くなりました。そんな人たちに対して、今はただ無力を感じる毎日で すが、この地域の人たちにとって大切なのは何か、今TCにある野菜、豚、鶏、魚、それらにとらわれることなく可能性を探って行きたいと思います。ウェス リー氏、マント、ランプのもと語り合い、鍬を振るい、道は開けると信じて。

スマトラ島ダイリ県ビナガ村及びその近在の村の大雑把な状況 報告

浜田 信男

今回訪問時、農村調査を行った。その結果、当該村落における経済作物は第一にコーヒーであり、それ以外にはドリアン、豆(豆科の樹)、タバコ、etcあ るが
コーヒーには、遠く及ばない。村の経済はコーヒーに100%依存していると言っても過言ではないであろう。

次に重要な作物は稲である。ビナガ村は山間地に位置し水田面積は少ないので不足分は陸稲に頼らざるを得ない状況である。焼き畑1年目はそこそこの収量は あっても地力は急速に衰えるので陸稲には化学肥料の投入が一般的になっている。農地の生態的利用法として注目されるのは焼き畑1年目にコーヒーの苗木と被 陰樹としてのマホガニイ、ランブタン、ドリアン、パリラ(豆科の樹)etc.を植え、その間作として陸稲を栽培する方法がみられた。しかし、この農法も最 終作物はコーヒーとなりモノカルチャアーから脱するものではない。

農民の米に対する執着心は非常に強くキャッサバなどはいくらでもあるのになかなか食べようとしない。コーヒー価格の暴落している現在でもなお借金してで も米を食べたいと欲するのである。

水稲の栽培技術は非常に高くインディカ種の栽培としては驚く程の高収量をあげている。
しかし限定された用水量に村内での新規開田は厳しく制限されている。

今回の調査では各村民の耕作面積は聞き取りを行ったがその所有面積を聞き漏らしてしまったことは残念である。ある農家などは100haもの土地を所有し ていたし、ウェスリィ氏の父親などは、はるかに大きな土地を所有しているようである。

然しインドでみられる様な土地無し農民は全く見られない。貧富の差は多少あっても全員自作農であることは今後の技術普及における明るい材料である。

最後にビナガ村における最大の問題点に触れておかなくてはならない。

それは宗教である。ビナガ村はキリスト教徒とイスラム教徒が約半々の村である。TCに於いてキリスト教であるウェスリィ氏が養豚を自立手段の眼目に据え るのは自然な発想かもしれないが、我々(生きる会)より見た場合、普及対象は村人全員でなくてはならない。もし我々も養豚部門に援助するならば村人の間に 不必要な妬みや憎悪そして村人どうしの反目の感情をまき散らしかねない。技術普及における最大の留意すべき点であろう。

さらに将来的に大問題になるかもしれないこととして森林の伐採がある。

ビナガ村の耕作地の背後には村人が日常的に利用している森林があり、さらにその後背地にトバ湖の外輪山としての森林があり、スハルト政権時代に華僑資本 がこの地の森林の伐採を計画したがメガワティに政権が変わりこの計画は頓挫しているが、不安定なインドネシアの政情を考慮すれば何時この伐採計画が実行さ れるか、予断はゆるされない。もし、この伐採計画が実行されれば、ビナガ村及びその周辺の村落に与える生態的悪影響ははかりしれないものがある。

以上がビナガ村の現状であるが短い滞在中に思い付いた改善点や対策を列記すると以上のごときである。

稲作について:当該地区に於いては1期作しか行われていないので2期作の可能性をさぐるための試験栽培を行う。さらに用水の経済的利用法(水路の改修 etc)の改善により栽培面積の拡大の可能性を追及する。

コーヒーについて:村の経済がコーヒーに100%近く依存している現状を改革してゆくためにはコーヒーを利用するのが最も合理的ではなかろうか?栽培技 術の改善、収穫法さらに調整方法の改善により品質を向上させれば中間バイヤーを通さなくても販売の可能性はでてくるのではなかろうか?販売利益が上がれば それを原資とした農民組合の設立も可能となり村は自立する。

ビナガ村随想

浜田 信男

私にとって20年ぶりの海外であるこの度のスマトラ、ビナガ村訪問は協定書の作成が主たる目的であったが、農家調査や自然環境を通してTCでの今後の技 術普及の有るべき道を探求するのも大きな目的であった。しかし同行者が強烈極まりないキャラクターの持ち主である戸松君であったため小生の精神状態は安定しておらず疲労困憊、ヨレヨレの状態でようやく生きて日本に帰りつきました。

ま、そのことはさておき、ビナガ村は実に穏やかな自然の中にあり、私たちがかつて暮らした北インドやネパールと比べるとまるで天国のような処なのです。 人と自然が敵対するのではなく自然の中に人間の生活が溶け込んでいる、そんな感じが強烈でした。

夜毎、砂糖椰子の果梗からとったヤシ酒を飲み、庭に出ると満天の星、とりわけ南十字星は美しかったしホタルもたくさん飛び交い心が癒されました。実に日 本人の心情にぴったりなのでエコツアーをやれば日本人はいっぱいやってくるぞ。なんて話もでるほどでした。会員の皆様、ぜひ1度ビナガ村に行ってみてくだ さい。6月にはスタッフハウスもできる予定です。