はじめまして、5月に入塾した小野秀晃と申します。九州、福岡県小郡市というところから来ました。体を動かすこと、食べることが好きで、力士を7年間していました。力士の時にたまたま無農薬栽培をしている農家の方と交流があり、体と食べ物の関係や健康の大切さを教えていただきました。
その方からは、無農薬栽培の野菜、米、お酒等を差し入れしていただくことがあり、その度にただ美味しいだけでなく、食べることで体調が良くなる体験をし、強く農業、特に無農薬栽培に興味を持ちました。
力士引退後は農業の道へ進むつもりでいましたが、周りの反対に押され料理の道へ進むことになりました。しかし、本来したいことの道から外れてしまっている仕事に情熱があるはずもなく、1年半で見切りをつけて農業の世界に飛び込みました。農業で料理をした経験を少しでも活かそうと加工品の種類が多い酪農を頑張っていこうと思い、北海道の牧場に就職しました。牧場では主に仔牛の哺乳、育成牛・乾乳牛の世話、管理を担当しました。しばらく牧場で働くうちにあることに気がつきました。牛が乳を出すためには、妊娠して仔牛を産まなければいけません。乳量をおいかけるうちに、生まれてくる仔牛の数が、仔牛用の牛舎の収容頭数を超えてしますことがあります。その結果、餌を食べることが出来ない仔牛が餓死したり、病気になって死ぬ仔牛が続出しました。「経営上しょうがない」といっても納得できないところがあり、体調を崩したのを機に退職。帰郷し、体調をよくするために休養しました。
その時に自分自身を見つめ直し「理由がどうであれ人生のすべてが中途半端になっている、農業をやるにしても加工品の種類が多いという理由で無農薬栽培から遠ざかり、その前は無農薬栽培と料理を天秤にかけて、将来収入が多くなるであろう料理をとったりと、結局お金ありきで自分の道を選んでしまっていたのではないか。その考えは牧場の「経営上しょうがない」と同じ考えで、本物・本質から遠ざかっているのではないか」と考えるようになりました。
収入がどうこうよりも、生きがい、哲学を持って日々仕事からエネルギーをもらいながら生きたいと強く思い、農業に興味を持つきっかけになった無農薬栽培の農業を生涯の仕事にしようと決意しました。
体調を治す間に無農薬栽培が研修できるところを探し、志を同じくした人たちが集まる帰農志塾を見つけ、入塾しました。
まだここに来て2週間と少しで先輩塾生の方々に一つ一つ仕事を教えていただきながら日々学んでいます。
至らないところも多々あると思いますが、よろしくお願いします。